漫画「生理ちゃん」から差別問題を考える

この本は、小山健先生による一話完結の生理にまつわるお話です。

私が面白いなぁ、と思ったのは、生理の歴史。今では当たり前にある生理用ナプキンも、まだ開発されていない時代は脱脂綿が使用されていたことや、日本がアメリカより40年ほど生理用品の開発が遅れていたこと、そしてナプキン開発までの女性開発者のストーリーは涙しました。女性の社会進出の一番の功労者は生理用ナプキンかもしれませんよね。

今回は、その中でも「町娘と生理ちゃん」という江戸時代のお話の一部を紹介します。

昔、生理は「汚いもの」と思われていて、「生理になった女がけがれている」とされ、生理になると女性たちは「月経小屋」という隔離された小屋に閉じ込められていたようです。

「生理ちゃん」の作中では、生理になった女性が男から石を投げられたり、真冬の中、隔離された小屋の中で生理中の女性が凍える様子が描写されてました。

ただ、ちょっとびっくりしたのが、これは昔のお話だと思っていたのですが、現在、ネパールでもまだ隔離小屋というものが存在しているそうです。

世界規模でみると、私達が当たり前だと思っている文明が、当たり前ではない国がまだまだたくさんありますよね。

さて、「生理ちゃん」では、主人公の町娘「ゆい」が生理になって月経小屋に入っていくところから始まります。

そこで、たまたま生理周期が一緒だった葛飾北斎の娘の葛飾応為と同室する。

男たちから侮辱され、真冬の月経小屋で凍えるゆいを見かねた葛飾応為は、

いつか遠い未来、女にも仕事が選べて、こんなとこに閉じ込められない日が来るのかな?これでもかってくらい女が声をあげればもしかして…

と希望を未来に託す。江戸時代の女性たちは、きっとみんな月経小屋がなくなることを願っていたでしょうし、現在でも私たちが知らない国でそう願っている女性がまだいるかもしれません。

私たちが当たり前だと思う今の日本の文化は、私たちの先輩たちが大きな声をあげて切り開いてくれたもの。

だから、私たちも先人たちがしてくれたように、「これは差別じゃないかと思ったことに対して声をあげていくこと」はやっていってもいいんじゃないかと思います。それを受け、何が差別かは次の世代の人たちが決めていけばいいと思います。

私たち30代は、女性差別を受けてきた昭和の親に育てられた世代です。私たちは、いまだに何が女性差別に当たるのか、本当はわからないのではないでしょうか。

例えば、伊藤さんのレイプ事件にしても、「男性と2人きりで食事に行く」「意識がなくなるまで飲む」ことが、「レイプされても仕方ない」という意見がありました。

私も、「レイプされても仕方ない」とまでは思わないまでも、最初にニュースを見た時は「2人で楽しく食事をしておいて、『レイプ』って表現は違和感がある」と思っていました。

でも、「楽しく食事して酔っ払ったからってセックスしていいってことではない。そもそも相手は妻子いるじゃん」という考えも持っています。

”派手な下着を着用していたことから合意があった”と誘導するような記事に関しては、全く共感できませんでした。

伊藤さんの事件以外にも、

・深夜に女性が歩いていてレイプされた事件が会った時に、「そんな時間に歩いている女が悪い」って教わってきたけど、絶対違う。どう考えても、レイプする方が悪い。

・デートに行ったら男性が食事を払うのが当たり前って思っている女性ってまだいる。これも昭和の考えが引き継がれていると思う。

・共働きなのに、家事は女性がすることは男女差別だけど、よくよく聞くと、生活費は全部男性が払っていて女性は払ってなかったりする。これも本当に平等なのか。

こういうことが、差別を受けてきた親世代に育てられた私達は、何が差別かを議論することが、すごく難しいんだと思います。

もしかしたら、自分が「差別」だと思っていたことが、ただの被害妄想で間違っていることもあるかもしれません。その時は意固地にならないで、ごめんなさいって謝る勇気も必要。それでも、私たちは差別に対して声をあげていかないと、次の世代の女性たちの明るい未来は、遠のくのではないかと思います。

また、差別とは少し観点がずれるのですが、せっかくなので心理学的な見解もいれておきます。

葛飾応為が、ゆいに絵画のモデルをお願いしたところ、ゆいは「私よりキレイな人、たくさんいますよ」という町娘に対して、応為は、「どいつもこいつも完璧なやつほど足りねぇ足りねぇと言いやがる」と返すシーン。

これは恐らく、葛飾応為の意図としては、「完璧だと思った上に成長がある」ということなのですが、私は別の角度から解釈して、これは「足るを知る」と捉えました。

【足るを知る】
「無いもの」「不足しているもの」に注目するのではなく、「足りてるもの」「すでにあるもの」に注目するという意味。(老子)

この「足るを知る」は心理学でいうと、「どこに焦点をあてるかで世界が変わる」ゲシュタルト療法と同じ考え方だと思います。

下の図をみてください。どっちが気になりますか?

恐らく「B」と答えた方が多いと思います。

人は欠けているものに焦点を当てやすいのです。

・自分が不幸だと思っている人は自分の不幸な部分に焦点をあてる
・いつも苛立っている人は世の中の苛立つ部分に焦点を当てる
・相手の足りないところにだけ焦点を立てる
・会社、経営者のダメなところに焦点をあてて完璧を求める
・自分の弱点に焦点を当てる

「何気ない日常、ちょっとしたことに幸せに焦点を当てられる人が幸せになれる」幸せは勝ち取るものではなく、見つけるもの」とゲシュタルト療法では伝えています。

幸せになりたかったら、もう幸せであることに気付くだけということでしょうか。

最後にゲシュタルトの祈りを書いてこの投稿を締めようと思います。

わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし
あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。
わたしはわたし、あなたはあなた。
もしも縁があってわたしたちがお互いに出会えることは素晴らしい。
でも、例え出会えなくてもそれもまた同じように素晴らしいことだ。

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